春の彼岸会と百万遍念佛
2017.03.21 仏教
3月に入り少しずつ暖かくなってきましたね。
毎年この季節になると「花粉症」に悩まされます。
今年は特に花粉の量が多いようで、
春の訪れを感じざるを得ません・・・。
さて先日、3月20日は春の彼岸会。
来迎院では毎年「春分の日」に行っている法要です。
私たちが春秋に迎えるお彼岸は、それぞれ春分、秋分の日を中日としての
一週間をいい、日本独特の行事です。
仏教では、ご先祖さまのいる世界・「極楽(ごくらく)」を「彼岸(ひがん)」
私たちが生きているこの世界を「此岸(しがん)」といい、
「彼岸」は、西に位置するとされています。(西方極楽浄土)
3月の春分の日と9月の秋分の日は、太陽が真東から昇り、
真西に沈むので彼岸と此岸がもっとも通じやすい日になると考えられ、
彼岸の時期に合わせて、日本では先祖供養をするようになりました。
また彼岸の語源は、
サンスクリット語「パーラミター(波羅蜜多)」の漢訳語「到彼岸」からきています。
煩悩と迷いの世界である「此岸」から悟りの世界「彼岸」へ到達するために、
「六波羅蜜」の修行を行ないます。彼岸はその修行をするための期間でもあります。
この期間に仏様の供養をする事で極楽浄土へ行くことが出来ると考えられていました。
来迎院、春のお彼岸での恒例仏事『百万遍』(ひゃくまんべん)
正式には百万遍念佛(ひゃくまんべんねんぶつ)といい、円陣を組み伏せ鉦に合わせて
念仏を唱えながら大数珠を繰る『大念珠繰り』で、
家内安全、疫病退散、無病息災などを祈願します。
〜由来〜
百万遍の由来は1331年にさかのぼります。京都の町で大きな地震が起こり、その際に疫病が流行り、たくさんの方が亡くなりました。鴨川の河原に病死された方の遺体の山ができるほどで、ひどい惨状だったそうです。
そこで後醍醐天皇より、京都中の寺社に対して「祈祷をし疫病を鎮めよ」と命が下りました。
知恩寺の8代目住職だった空円上人が、命令に従って7日7晩念仏を唱え続けたところ、
疫病が鎮まったという話が残っているのです。
感心された後醍醐天皇は空円上人に、「何をされたのか?」とたずねます。空円上人は「7日7晩、お念仏をとなえ続けました」と答えました。そしてさらに後醍醐天皇は、「何回念仏を唱えましたか?」とたずねると、「7日間で百万回(遍)のお念仏をおとなえしました」と答えました。
ではこれからは百万遍と名乗りなさいと「百万遍」という称号を天皇から賜ったそうです。
来迎院にある大数珠の直径は・・・
なんと約7m50cm。なかなかの大きさですね〜。